護国寺の豆知識

護国寺を参内したところ、ちょうど護国寺の僧侶が説明会を開いていたので、後ろの方から聞きました。護国寺に来ると、江戸時代の風景を見ることができます。なぜなら、敷地が広いので高層ビルが見えない方向がかなりあるためです。

本堂をぐるっと取り巻く廊下を歩いていきます。

当寺の創建は天和元年2月(1681)ですが、建立はもう少し遅く、1697年ということでしょうか。

明治時代まで、西国三十三のお堂があり、それぞれのご本尊のレプリカが納められていました。しかし、勝手にお堂に泊まったり、レプリカなどを盗んだりした連中がいたので、お堂を取り壊して、お墓にしました。護国寺には、三条実美、大隈重信、山縣有朋、池田成彬、團琢磨、團伊玖磨(作曲家)、益田孝、中村天風、梶原一騎、大山倍達、安田善次郎などのお墓があります。

秩父三十四箇所の供養塔もあります。

この塔の横に刻まれています。

これは本堂の裏の扉です。左右の扉に、それぞれ縦に3本の桟があります。中央の2本の桟と上の柱の間の隙間が広くなっています。これが狭いと、長い年月の間に上から押されて、扉が開かなくなってしまいます。そうならないように職人技で建てたわけです。

という内容を僧侶が説明しています。

大隈重信の建てた鳥居です。日本の神仏習合は長い間の伝統ですから、神仏分離令を出しても、なかなか徹底は難しい。ちなみに、怖いことを避けようとするときに、「くわばらくわばら」と言います。これは菅原道真の領地内に桑原という地名がありましたが、そこには雷が落ちたことがないということから、言い始めたとされています。とこのお坊さんがおっしゃっていました。

護国寺にはお茶会を開くための庵がいくつかあります。

護国寺を出て不忍通りを歩くと、ほどなく冨士見坂があります。今は、高層ビルが多いので富士山が見えませんが、昔はよく見えました。

裏道に入ると、ポンプ式の井戸があります。現在でも植木の水やりなどに使っています。防災協定井戸にもなっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です