泉涌寺
京都東山にあり、皇室の菩提寺として護られて来ました。
仏殿は、寛文8年(1668)に4代将軍徳川家綱公により再建されました。
泉涌寺水屋形
屋根は入母屋造、こけら萱で、正面は桟唐戸(さんからと)で上部に欄間(らんま)があり、屋根には軒唐破風(のきからはふ)を付けています。
ここは、平安時代は法輪寺、その後仙遊寺となりましたが、ここに清泉が湧き出たので寺名を泉涌寺と改めたと伝えられています。
泉涌寺創建当初の伽藍は農人の乱でほとんどが焼失し、現在の伽藍は江戸期に整備されました。
本尊は、鎌倉時代の代表的な仏師「運慶」作の「三世三尊仏」と呼ばれ、左の阿弥陀如来は現在、中脳の釈迦如来は過去、右の弥勒如来(みろくにょらい)は未来の守護尊として、三世にわたって人類の平安ンと幸福を記念しています。
みでらせんにゅうじ と読みます。
天井の雲竜図、壁画の飛天の図、裏堂の白衣観音図は狩野探幽により当堂建立の翌年に奉納されました。