緑の散歩道:碑文谷・立会川コース
碑文谷の歴史と自然を訪ねる径
歴史と自然のまち 碑文谷と円融寺
このコースは全長3.4㎞立会川緑道のそぞろ歩きを楽しみながら、碑文谷の歴史と自然を探訪する。
碑文谷は江戸期の目黒6カ村の一つ。江戸の近郊農村として、昔は筍をはじめ米麦、野菜の栽培が盛んでした。対象末から昭和初期の関東大信さん、目蒲初期の関東大震災、目蒲・東横両線の開通が契機になって宅地が急速に進み、準農村からから住宅や商店が混在する街に生まれ変わりました。
この緑道の北側に目黒区内でも有数の古刹、円融寺があります。平安初期に慈覚大師が創設したと伝えられ、元々天台宗の寺でしたが、鎌倉後期に日源上人により日蓮宗に改宗しました。名も法華寺と改められ隆盛を極めましたが、「不受布施」の教義のため徳川幕府の弾圧を受け、再び天台宗の寺に戻されました。毎年、節分の日は大勢の善男善女で賑わいます。
高木神社
この神社の創建年代は不明ですが、かなり古くからあり、碑文谷村時代には、子之神集落の守護神として「第六天」と呼ばれていました。江戸時代から第六天と子の神(子の方角の神で、大黒天・大国主命)及び高皇産霊神を祀り農村の水神とし、また霊験あらたかな神様として敬仰されていました。
明治になって高木神社と名付けられ、祭神は大己貴命となっています。境内に天明8年刻名の角柱文字塔型道標があります。この道標は今の環7道路の位置から移されたものです。