カルナック神殿からルクソール神殿へ移行します。

ルクソール神殿は、エジプトのルクソール(古代のテーベ)東岸にある古代エジプト時代の神殿である。

古代エジプトにおいてイペト=レスィトとされた神殿であり、アメン(アメン=カムテフ〈「自らの母親の雄牛なるアメン」)に捧げられたアメン=カムテフ神殿であった。

カムテフ(「自らの母親の雄牛」)は、アメンと豊饒神ミンが習合した神の形容辞として新王国時代(紀元前1550-1069年)以降に使われた。

この神はアメンエムオペ(「オペトのアメン」)とも称され、神殿は「南のオペト(隔絶された場所)」とされた。

新王国(第18王朝-第20王朝)時代には毎年、アケト(氾濫季)の第2月にオペト祭が約2-4週間にわたり行なわれ、カルナックのアメン大神殿より大神アメン(アメン=ラー)の神像がムト、コンスを伴い、儀式用の聖舟(バーク)に乗り、三柱神は2キロメートル余り (3km〈2mi〉) 離れた南端のルクソールの神殿を往復した。

ルクソール神殿とカルナックのアメン大神殿とはスフィンクス参道(ドロモス)で結ばれていた。神殿入口となる第1塔門の前には1対のラムセス2世の座像(倚像、いぞう)、手前にはオベリスク(高さ25.00m)が1本立っている。

ルクソールのオベリスクは本来左右2本あったが、右側の1本(高さ22.55m)は1819年、フランスに贈られてパリに運ばれ、現在コンコルド広場にある。

神殿域からはエジプト中王国時代(紀元前2055-1650年)、第13王朝(紀元前1795-1650年以降)の王(ファラオ)セベクヘテプ2世の名を記した石材が後世の遺構の基礎に再利用されていることから、この時代に何らかの建造物が存在したことが示唆される。

その後、第18王朝(紀元前1550-1295年)のハトシェプスト(在位紀元前1473-1458年)による多くの建造物に代えて、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として、アメンホテプ3世(在位紀元前1390-1352年)によって中心部分が建立された。

