ラスベガスのハラーズ・ホテル
1905年5月15日にラスベガスが設立され、同年にユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、現在のダウンタウンに駅が造られた。
金鉱ブームも去った頃、1929年の株式大暴落に端を発した大恐慌が起り、さしたる産業の無いネバダ州では、税収確保のため1931年3月19日に賭博を合法化した。
1931年に近郊(街の南東48キロメートル)にフーバーダムが着工され、ルーズベルト大統領のニューディール政策の時代の1936年に完成した。
労働者の流入と安価な電力の供給で、街は大きく発展した。
1940年代に入るとダムから得られる豊富な電力を利用して、第二次世界大戦中にはネバダ砂漠に軍事基地や核実験場(ネバダ核実験場)が続々と建設され、その関係者が町に住むようになった。
第二次世界大戦終結後の1946年にベンジャミン・シーゲル(バグジーとして知られる)がフラミンゴホテルを建設し、カジノが収益を上げることが判ると、マフィアが続々とホテルを建設するようになり、それらのホテルは同時に集客のためにフランク・シナトラやサミー・デイヴィス・ジュニア、リベラーチェなどのショーを定期的に行うようになった。街の建設資金は大半をモルモン教徒が融資した。
しかし1960年代後半頃から当局の取り締まりが厳しくなるにつれてマフィアは次々とホテルの経営権を手放すようになり、合法的な不動産会社、ホテルチェーン、ハワード・ヒューズのような大富豪などがこれらのホテルやカジノの経営権を引き継いだ。