金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。永順の没年は文禄3年(1594)6月であることから、それより以前、天正年間(1573~92)の創建と考えられます。当初は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。
江戸時代には近辺の此花咲耶姫などの別当でしたが、昭和20年4月の繊細で本堂塔の建物や、水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。
中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる場所がこの辺りにありました。天保7年(1863)出版の「江戸名所図会」には、金乗院とともに「宿坂の関旧址」が描かれています。金乗院の裏門の辺りにわずかな平地があり、立帳場と呼ばれ、昔関所があった後であるとの伝承が記されています。この坂の名が「宿坂」と言われているのは、おそらくこれに因むものと思われます。
現在の本堂は昭和46年に再建され、平成15年に全面改修されました。
真言宗は、平安時代初期に弘法大師によって中国からもたらされ、我が国で開宗されました。
倶利伽羅不動庚申
人間を罪過から守る青面金剛の化身、三猿は天の神に人間の犯す罪を伝えない様子をあらわしている。