番町九段7

中坂

江戸時代初期に徳川家康が視察に来た時、付近の農民である飯田喜兵衛が案内役を務め、それ以降喜兵衛が名主となったことから、この地域を飯田町と呼ぶようになりました。元禄十年(1697)の大火の後、付近の武家屋敷が移転した際、新たにこの坂が作られ、飯田坂と呼ばれました。その後、南にある九段坂と北にある冬青木坂の中間に位置することから中坂と言われるようになりました。現在では九段坂(靖国通り)が交通の中心ですが、江戸時代には中坂が重要な交通路であり、多数の商店が軒を並べていました。また、神田祭の山車などはみな中坂を通りました。

築土神社

天慶三年(940)平将門の例を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことに始まり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和二年(1616)には牛込門外の筑土山に遷座して筑土明神となり、途中明治七年(1874)には築土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。

昭和20年空襲で社殿などをことごとく焼失し、29年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。

 

狛犬の一方の頭上には「角」が、また他方の頭上には「宝珠」が載せられています。前者は「狛犬」、後者は「獅子」を表しています。