高輪泉岳寺8
潮見坂
坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられました。
蛇坂 へびざか
付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されています。
定林寺
安島直円墓
安島直円は江戸中期の出羽国新庄藩士で数学者です。享保17年(1732)江戸新庄藩邸で生まれました。通称を万蔵と称し、南山と号しました。和算の流儀を継ぐ山路主住に歴術や和算を学びました。
安島の研究は独創的なものが多く、「円理」の研究や幾何学の「三射三円術」等、直線と円の接触関係図形の研究を著しました。また、山路家が天文方だった影響で、歴に関する著作もあります。寛政10年(1798)67歳で江戸藩邸で没しました。
長松寺
荻生徂徠の墓
独学で儒学を学んで、古文辞学を創始して古学派に新風を吹き込み、後に日本橋茅場町に学者蘐園塾を開いた。墓石に「徂徠物先生」とあるのは、先祖が物部氏であるとして、好んで「物徂徠」と自称していたことによる。徂徠は、徳川時代の最大の儒者の一人であり、大衆の文章割れを俟ってはじめて興ると自ら豪語したのは必ずしも誇張ではありません。彼の学問は日本儒学氏に一大転換をもたらしただけでなく、身長の儒者からも高い評価を受けました。