京都 59

龍安寺

応仁の乱に焼失して明応8年(1499)勝元の子、政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈、仏殿、開山堂などを失った。

現在の方丈は、その時、西源院の方丈を移築したものです。

方丈の前庭は枯山水の石庭として有名

パゴダ

ビルマにおけるなき戦友たちの慰霊のため

方丈の北東に据えてある銭形のつくばいは、「我只足るを知る」と書いてあります。

 

水戸光圀の寄進と言われます。

方丈から東庭に隔てた東北隅の茶室を蔵六庵といいます。

蔵六という語は亀の別名です