木造祐海上人座像
この像は祐天寺2世祐海56歳の姿を映した寿像です。元文2年に弟子たちが発願し、大仏師法橋石見により制作されました。
祐海自著の銘文が墨書され、文化5年(1808)に胎内に祐海の遺言とともに納められました。
江戸時代中期の紀年を有する入念な肖像彫刻として貴重であり、内刳の部に箔押しを施しているのは本尊祐天上人座像に倣ったもので、大変珍しい違例です。
旧崇源院霊屋宮殿
旧崇源院霊屋宮殿は、徳川二代将軍秀忠の夫人で三代将軍家光の生母、豪(崇源院)の位牌を祀るために寛永5年(1628)に建立された宮殿で、元々は家康の側室である愛の菩提寺の崇源院霊屋にあったものです。その後、八代将軍吉宗の治世(1716-45)にこの霊屋がたたまれた際に、目黒区の明顕山祐天寺に寄付されました。現在は徳川家康像を安置します。
本宮殿は、正八角形を基本とする変形6角形の特異な形式です。これは将軍夫人の宮殿に限定的に用いられた形式と考えられ、類似の宮殿が芝増上寺の徳川家霊廟にありましたが戦災消失したため、本件は存在が知られるものとしては現存する唯一の遺構です。禅宗様の建築技法や豊富な金具による豪華な装飾は、徳川将軍家に相応しい顕著な特徴です。