中目黒8

祐天寺の仁王門です。

落語家の八代目桂文楽や橘家円蔵などが泥棒の話をする時、マクラに使っていた話です。

浅草寺のお賽銭を盗み出した泥棒君、裏から逃げればいいものを正面から逃げた。仁王門まで来た泥棒を怒った仁王様が捕まえて、グイと足で踏んづけた。腹を踏まれた泥棒君、よほど切なかったとみえて、一発おならを”ブイ”。仁王様は鼻を背けて「クセエ奴だ」、泥棒君あわてず「臭う(仁王)か」。

仁王門

この仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)の建立で、五代将軍綱吉の息女竹姫が寄進されたものです。

桁行8.5m(28尺)梁間4.3m(14尺)棟高9m(29.6尺)三間一戸八脚門切妻造本瓦葺型銅板葺、円柱は欅材です。

正面の両脇間に享保20年法橋石見作の仁王像、背面の東脇間に持国天、西脇間に増長天像が安置され、ともに雲慶の作と伝えられています。また、中央間の内側には正面に麒麟、背面に海馬の二獣神を配しています。なお、頭貫上の蟇股には十二支が彫られ、方位を示しています。

各虹梁、木鼻、肘木、蟇股に施された渦紋、若葉紋の彫りは力強さを感じさせ、木割、細部絵模様等の建築様式の特徴は江戸中期の性格を留めています。

 

阿弥陀堂は、五代将軍徳川綱吉の息女竹姫の寄進で、享保9年(1724)4月に上棟されました。