荏原台地2

目黒区立 碑小学校

明治12年1月20日: 村社、八幡神社境内に東京府第二中学区三十七番公立学校として開設。

式亭 三馬 の墓

江戸時代後期の戯作者。

安永5年(1776)江戸浅草田原町三丁目の家主菊池茂兵衛の長男として生まれました。名は太輔。字名は久徳、通称は西宮太助、戯号に式亭三馬、遊戯堂、四季山人、本庁庵、洒落斎、たらりろう、滑稽堂、戯作舎、酔夢閣などがあります。

寛政6年(1794)19歳で処女作「天道浮世の出星操」を著し、寛政11年の「夫南北是嘘気(それくすのきこれはうそのき)侠太平記向鉢巻(きやんたいせいきむこうはちまき)」では訴えられて奉行所に召喚され軽からぬお咎めを蒙った筆禍事件は、かえって作家としての名声を確立することとなった。文化7年(1810)以降は本町2丁目(現在の日本橋室町3丁目三井別館南東角)で家業の売薬店を経営しながら、黄表紙や洒落本、更に評価の高い合巻と滑稽本に優れた作品を出版しました。「浅草観音利益仇討 雷太郎強悪物語」は合巻の嚆矢となり、滑稽本では庶民の会話を活写した「浮世風呂」屋「浮世床」が代表作です。

文政5年(1822)閏正月6日47歳で死去し、深川雲光院の寺中長源院に葬られましたが、関東大震災後正泉寺墓地に改葬されました。