世田谷区立桜小学校発祥の寺
明治12年12月1日、圓光院本堂を仮校舎として設立
近くの神社で祭りの後片付けをしています。
代官屋敷(大場家住宅 主屋及び表門)
保存活用計画に基づく改修中でした。
同じ敷地内に郷土資料館があります。
茅葺の屋根の一部が見えます。
大場家は、世田谷村名主役、世田谷新宿問屋役を務めた家柄で、元文4年(1739)から明治維新までは彦根藩世田谷領大官職を代々務めました。
大場家は彦根藩世田谷領の代官屋敷として、近世史を理解するうえで非常に重要な遺構となっています。現在は土間部分の限定的な公開を行っています。
主屋は桁行9間半(17.3m)、梁間6間(11.0m)の大きさで、屋根は寄棟造の茅葺、軒の四方がせがい造りです。建物正面に式台(玄関)がもうけられていますが、これは昭和42年の修理時に整備されたものです。大官職を務めていた時代には、主屋は公務(役所)を兼ねた家族の居宅として使われていました。「役所の間」「役所次の間」は代官の執務室で、「代官居間」は家族の生活空間であったと考えられます。
大場家は由緒の明らかな藩の在地代官の居宅であり、この地域の大型農家と共通した特徴を持ちますが、役職に相応しい格式も備えています。
大場家住宅主屋及び表門
右側は上から、だいどころ、板の間、2回屋敷です。