ルクソール神殿
次いでアメン神官団に対抗した息子のアクエンアテン(アメンホテプ4世、在位紀元前1352-1336年)の時代に中断したが、アメン崇拝を復興したツタンカーメン(トゥトアンクアメン、在位紀元前1336-1327年)により大列柱廊(コロネード)が完成した。

そしてホルエムヘブ(在位紀元前1323-1295年)や第19王朝(紀元前1295-1186年)のセティ1世(在位紀元前1294-1279年)に引き継がれた後、ラムセス2世(在位紀元前1279-1213年)の拡張により、アメン大神殿に向かって神殿の軸線が東寄りに変更され、周柱式中庭(第1中庭)や塔門((パイロン〈ピュロン〉)が建設されるとともに、カルナック神殿につながる長大な参道が構築された。

末期王朝(紀元前747-332年)の時代、第25王朝(紀元前747-656年)のシャバカ(在位紀元前716-702年)により列柱を有するキオスクが建設されたと考えられ、第30王朝(紀元前380-343年)のネクタネボ1世(紀元前380-362年)は塔門前の前庭を造設するとともにカルナックに至る参道を数百体の人頭スフィンクス(アンドロスフィンクス)によって装飾した。

神殿の深部には、アメンホテプ3世および後世のアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世、在位紀元前332-323年)によって構築された祠堂がある。

ローマ時代の3世紀後半から4世紀初頭には、神殿およびその周辺は軍の要塞(カストラ〈カストルム〉)となり、その領域はローマ政府の基地であった。 
中世には「城 (The Castles) 」を意味する El Uksûr として知られるようになり、これが「ルクソール」の名称に転訛した。

発掘
中世よりルクソールのイスラム教徒の集団が、丘の南端、神殿およびその周辺に定住していた。

ルクソールの町の住民がそれまでルクソール神殿の周りやその上に築いた建物によって、何世紀にもわたる瓦礫が、高さおよそ15メートル(48-50フィート)の築山としてその場所に堆積していた。

ルクソール神殿は、ガストン・マスペロが作業開始にあたる任務に就いた後、1884年より発掘が開始された。 
発掘はその後1960年まで散発的に行われた。
