最初のオランダ公使宿館跡:西應寺
オランダは長崎出島を本拠にし、江戸に所用があるときには日本橋本石町の「長崎屋」や、外交使節の場合は長応寺を多く利用しています。安政5年(1858年)ドルケン・クルチウスが幕府と日蘭修好通商条約を結ぶ交渉の際には、真福寺を使用しています。芝周辺の大寺が外国使節の宿館として選ばれますが、西応寺もイギリス使節エルギンご一行の宿館として日栄修好通商条約の締結の地となります。
昭和28年(1953)11月3日、アメリカ(善福寺)、イギリス(東禅寺)、フランス(済海寺)とともに、西応寺も「最初のオランダ公使宿館跡」として指定されました。
田中山相福院西應寺は応安元年(1368年)妙賢法尼により草創されました。妙賢法尼は前身を時姫といい、鎌倉幕府執権北条高時公之末娘に当たります。時姫は父高時の自刃や一門の悲惨な終焉の模様を伝え聞き、仏門に入りその菩提を弔うことを発願しました。
天正19年(1591年)には徳川家康公より寺領十石が寄進され、寺号が西往寺から現在の西應寺に改められました。
明治政府による神仏分離令、関東大震災、第二次大戦の空襲禍によって堂宇は烏有に帰しましたが、檀信徒の信施を得て再興し、幼稚園の創設等、今日に至っています。
港区立芝小学校
設立が1879年(明治12年)