亀戸、錦糸町は、町のどこからでもスカイツリーが見えます。
普門院
真言宗智山派寺院の普門院は、福聚山善應寺と号します。普門院は、1552年橋場に創建、元和2年(1616)当地へ移転したといいます。江戸時代に橋場(台東区)から当地に移る際、梵鐘を川に落としてしまい、そこから鐘ヶ淵と呼ぶ伝承を持ちます。墓地には、この近くの大島6丁目で晩年を過ごした伊藤左千夫墓や大島伯鶴の歌碑など数多くの文化財がります。
亀戸七福神のひとつ毘沙門天としても親しまれています。
横十間川とスカイツリー、マンション群です。
龍眼寺
龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。
江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称“萩寺”として多くの文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる人々で賑わう様子が描かれています。境内に咲く四季折々の花々は、訪れる人の心を和ませ、松尾芭蕉、落合直文など文人墨客の句碑が昔の風情を偲ばせます。
慈雲山と彫ってあります。
庚申塔は庚申信仰という民間信仰に基づいて建てられたものです。庚申信仰とは、人の体内にはサンシという虫が棲んでおり、60日ごとに巡ってくる庚申の夜、人々が眠っている間に体から抜け出して天に昇り、天帝にその人の罪を訴えるの寿命を縮めると言われ、この夜は眠らず過ごし、健康と長寿を願うというものです。
龍眼寺は、江戸時代の中ごろにたくさんの萩が植えられたことから、萩寺の名で親しまれました。