田町6

慶応義塾大学を出て、これからイタリア大使館、赤羽小学校、都立三田高校などに行きます。

慶應大学と慶應義塾に中等部挟まれた綱坂は、渡辺綱の出生地跡(現、オーストラリア大使館)にちなむ。

坂の右、大学裏手のイタリア大使館の敷地は、伊予国(現、愛媛県)松山藩の中屋敷で、赤穂義士大石主税ら10人が切腹したところです。

イタリア大使館

幕末の1866年に日伊修好通商条約を締結したことで日伊両国の間に初めて外交関係が結ばれたが、国交樹立直後の駐日イタリア外交使節団がどこに代表部を置いていたかは定かではない。現在のイタリア大使館がある敷地は、かつて旧伊予松山藩邸であったものを1924年まで松方正義公爵が住居として使っていた邸宅(旧松方公爵邸)であった。

松方公爵没後の1928年、日本政府から新しいイタリア大使館の敷地所として旧松方公爵邸へ移転することを提案され、翌1929年に両者の間で合意がまとまり、1932年に旧大使館を引き払って現在の敷地に移転した。第二次世界大戦中は、1942年に来た連絡機でわずかながら本国との手紙で連絡が取れたものの、1943年9月のイタリアの敗戦後にはサロ政権側に付くか否かでその地位が振り分けられた。

こちらはイタリア大使館職員宿舎です。