高輪泉岳寺6

高輪泉岳寺6

慶長8年(1603年)、上野国新田郡出身の繁蓮社昌誉萬榮和尚によって木挽町に創建された。元和4年(1618年)敷地が御用地となり芝金杉に移転後、再び御用地として接収され、延宝7年7月13日(1679年8月19日)寺社奉行松平重治によって白金村の現在地に移転となった。

保安寺です。

歯科医学教育発祥の地

高山紀斎は米国留学で得た理想を元に、ここ東京芝区伊皿子町70番地に明治23(1890)年1月、わが国最初の歯科医学校として高山歯科医学院を設立した。この学院には、後の世界的細菌学者野口英世も教壇に立っている。その後、血脇守之助がこれを継承し、東京歯科医学院、東京歯科医学専門学校、東京歯科大学として現在に至っている。

この地に端を発した近代歯科医学教育の精神は高山歯科医学院開設以来百有余年、脈々と今に引き継がれている。

三田台公園

昭和53年縄文、古墳時代の住居跡と貝塚断層が港区三田4-19で発掘されました。

井戸の由来

この井戸は、明治、大正時代にこの地にあった華頂宮邸の庭園内に作られていたもので水面までの深さ約7.5M、水底までの深さ約12mです。大正12年の関東大震災時に大変役立ちました。