世田谷松陰神社2

アジサイ

シーボルトは、日本の様々な植物を掲載した『日本植物誌』を刊行しました。
そこで彼は、長崎の中国寺で採取したという空色の紫陽花を「Hydrangea otaksa」(ハイドランゼア オタクサ)と名づけて紹介しました。
「オタクサ」とは、「お滝さん」のことです。1829年、シーボルトは妻子を残したまま、国外追放になりました。

名所旧跡を散策するシニアのグループのようです。コーヒーショップで休憩のようです。

松陰神社です。

松陰神社の御祭神は、吉田虎次郎藤原矩方命です。

松陰泉氏は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育しました。しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて20歳の若さで刑死されました。その4年後の文久三年(1863)に松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩藩主大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改装されました。

明治15年(1882)11月松陰先生門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り神社が創建されました。

松陰先生像

明治23年に大熊氏廣氏によって製作された吉田松陰先生像から鋳造されたブロンズ像です。