世田谷松陰神社10

世田谷八幡宮

八幡宮のご創建は、寛治5年(1091)源義家が奥州の地からの帰途、ここ世田谷の地にて豪雨に合い、先に進めず天気回復を待つため数十日間滞在することとなり、日頃より崇敬する宇佐の八幡大神をお祀りし、世田谷の里人達にご才神を強度の守り神として厚く信仰するようにと伝えたことが始まりと言われています。また、その時に部下たちに相撲(力比べ)を行ったことが由来となり、江戸時代には「江戸三相撲」として、また現在も秋のお祭りにて奉納相撲が行われています。

その後天文15年(1546)当時世田谷城城主であった吉良頼康により社殿を修築造営が行われ、備前雲次の太刀を一振り寄進したと言われています。

江戸時代になり徳川将軍である家康より社領十一石を寄進されました。現在の境内地はおよそ四千坪です。

明治時代には一時期社名が郷社宇佐神社となるも、戦後、神社は国家管理より離れたため元来の世田谷八幡宮となりました。

現在の社殿は、昭和39年に改築されたもので、本殿御扉の中には、文か10年(1813)に作られたと言われる木造の社殿(大場家文書より)が鎮まっています。

当社の境内には2対(社殿前と末社 招魂社前)の狛犬が設置されており、そのどれもが子連れの狛犬です。