羽田穴守稲荷2

羽田村は漁師町だった

羽田漁師町の誕生まで

海老取川の川岸に、小型漁船が係留されている船だまりが現在もあります。これは昔からこの辺りに漁業関係者が多かったことを証明する光景です。

羽田の様々な歴史を描いた「羽田誌稿」によると、羽田浦の漁業の始まりは1160年前後(平治年間)のことで、7人が土着して船を用いた白魚網漁、地引網漁、投網漁、釣り漁などを行いました。別な資料によるとこの7人は源平合戦の一つ、平治の乱で敗れた源氏の落武者であると言います。羽田浦は好漁場が近いため、次第に住む人々も増えていき、集落が形成されていったのでしょう。ちなみに、この扇ヶ浜一帯は干拓され、後に鈴木新田の一部となり、現在は羽田空港の敷地となっています。

江戸時代初期には羽田村に暮らす人々も、農作物を作る合間に磯辺でハマグリ、汐吹貝、赤貝などを拾っていたと言います。羽田洲と呼ばれる一帯は干潟が広くて、貝が良く採れたようです。

言葉の語源が転訛したという説

全国各地にの後る「羽田」の地名を考えた場合、低湿粘土の地を「埴田」(はにだ)、新しく開墾した土地を「墾田」(はりた)とよぶことから、それが転訛して「はねだ」(羽田)となったという説。さらに、ここは昔から海鳥が多く、羽が田地にたくさん落ちていたから羽田となったなどの説があります。