京都2-41

常寂光寺

境内の庭園には200余本のカエデが植えられており[1]、秋は全山紅葉に包まれる。

平安時代に藤原定家の小倉山荘「時雨亭」があったと伝えられています。

安土桃山時代末の文禄5年(1596年)に小笠原秀政の母で日野輝資の養女である延壽院が開基となり、日蓮宗大本山本圀寺第16世日禎が隠棲の地として当山を開きました。

常寂光土のような風情から常寂光寺の寺号が付けられたとされます。

山茶花

歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以とその従兄弟の角倉栄可。

境内は第2世日韶(日野輝資の子)の時代に小早川秀秋らの助力を得て、整備が行われました。

百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望できます。