トルコ・サントリーニ67

トプカプ宮殿

1551年にトリポリ包囲戦 (1551年)に成功し、オスマン・トリポリタニア(1551年 – 1911年)を設置

スレイマン1世は密かにヴァロワ朝フランス王のフランソワ1世と同盟していたため、イタリア戦争 (1551年 – 1559年)(ポンツァ島の戦い (1552年)、オスマン帝国のバレアレス諸島侵攻 (1558年))に派兵して干渉戦争を実施した。

1555年にアルジェのサリフ・レイスがベジャイア占領に成功。

1556年のオラン包囲戦 (1556年)では、オランが包囲されている間に、モロッコ人もトレムセンを包囲し返し、作戦は失敗に終わった

1560年5月にピヤーレ・パシャがチュニジア沖のジェルバ島で行なわれたジェルバの海戦で大勝

1565年、マルタ包囲戦 (1565年)でオスマン帝国が最初の敗北を喫し、大きな被害を出した

1566年9月6日にスレイマンが死去し、その死から5年後の1571年、レパントの海戦でオスマン艦隊はスペイン連合艦隊に大敗したものの、しばしば言われるようにここでオスマン帝国の勢力がヨーロッパ諸国に対して劣勢に転じたわけではなく、その国力は依然として強勢であり、また地中海の制海権が一朝にオスマン帝国の手から失われることはなかった

そして1571年に占領されたキプロスは単独でキプロス州を形成することになった