トプカプ宮殿
クルチ・アリのオスマン帝国艦隊は敗戦から半年で同規模の艦隊を再建し、1573年にはキプロス島、翌1574年にチュニスを攻略し(チュニス征服 (1574年))、ハフス朝を滅亡させた
オスマン・チュニス(1574年 – 1705年)を設置
17世紀にクレタ島が新たに占領されるとクレタ島も単独のクレタ州となった
ロシア・ツァーリ国のイヴァン4世は、1552年のカザン包囲戦でカザン・ハン国を併合、1554年にアストラハン・ハン国を従属国化した
旧ジョチ・ウルス領のうち残っていたクリミア・ハン国とロシアとの対立が深まると、1568年にセリム二世及びソコルル・メフメト・パシャはアストラハン遠征(露土戦争 (1568年-1570年))を起こした
この戦いで勝利したロシアによるアストラハン・ハン国支配が確定したものの、この戦いは長期にわたる露土戦争の初戦に過ぎなかった
この戦いでソコルル・メフメト・パシャは、ロシアだけでなくサファヴィー朝をも牽制する目的でヴォルガ・ドン運河の建設を試みたが失敗に終わった(実際に完成するのは1952年になってからである)
過去にオスマン帝国治下のバルカン半島はオスマン帝国の圧政に虐げられた暗黒時代という評価が主流であった。