トルコ・サントリーニ78

イスタンブール

ビザンティオンは紀元前5世紀の変わり目に短期間アケメネス朝の支配を経験するが、ギリシャ人はペルシア戦争で取り戻している

都市の開祖はギリシア神話の海神ポセイドンとケロエッサの間に生まれた子ビザスであり、彼は太陽神アポロンの協力を得て彼の名を冠した「ビュザンティオン」を建設したとされ、トラキア人の王による侵略から町を守り、妻ペイダレイアもスキタイの侵攻を防いだとも言われる

ビザンティオンは デロス同盟とその後の第二アテナイ連合(英語版)の一部であったが、紀元前355年についには独立を得ている

長いローマとの同盟関係の後、ビザンティオンは73年に公式にローマ帝国の一部となった

ビザンティオンのローマ皇帝セプティミウス・セウェルスに対抗する敵対者 (en) ペスケンニウス・ニゲルの支持は大きな代償となり、2年にわたる包囲は都市を荒廃させた

195年に降伏している

それにもかかわらず、セウェルスは5年後にビザンティオンの再建を始め都市は回復し多くの取引はそれ以前の繁栄を上回った

コンスタンティヌス1世は324年9月に実質的なローマ帝国全体の皇帝になった

コンスタンティヌスは2ヶ月後に新しいキリスト教の都市にビザンティオンを置き換えるための都市計画を打ち出した