海雲時と千躰荒神
荒神さまの由来
古くからお台所に荒神様をお祀りする習わしがあります。荒神様は台所で一番大切な火と水をお守り下さる神様であります。それでお台所に荒神様をお祀りすれば一切の災難を除き衣食住に不自由しないとされています。
品川の千躰荒神は江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてまいりました。今を去る三百七十余年前、島原の乱に鍋島甲斐守直澄公がお年十八歳で出陣の折、天草の荒神が原にありました荒神様にお詣でになり必勝祈願なさったところ、甲斐守様の先頭には必ず千余の神兵が現れその行動は荒神王の荒れさせ給うはかくやと思われるすさまじさ。流石の暴徒も敵し得ず鎮定されました。以後鍋島家ではこの尊像を守護なさいまして東都高輪二本榎木の屋敷に遷座し篤い信心のもとにお祀りしてありました。
海晏寺
江戸時代紅葉の名所として知られた曹洞宗の寺院です。開基は鎌倉幕府執権北条時頼、開山は蘭渓道隆と言われる古刹です。
白井鳥酔の墓
1701-1769 江戸時代中期の俳人。元禄(げんろく)14年生まれ。もと上総(かずさ)(千葉県)地引村の代官。江戸で佐久間柳居(りゅうきょ)にまなぶ。松尾芭蕉の旧跡を遊歴し,晩年は相模(さがみ)(神奈川県)大磯(おおいそ)の鴫立(しぎたつ)庵ですごした。編著に「夏山伏」「冬扇一路」など。
岩倉具視(いわくらともみ)の墓所
牢光堂(ろうこうどう)