品川青物横丁13

東海寺の梵鐘

東海寺は寛永15年(1638)に三代将軍徳川家光の信任を受けていた沢庵禅寺のために、建立されたものです。

本鐘は元禄5年(1692)住持が撰文し、名工と言われた幕府の御用鋳物師である椎名伊予守良寛によって作られたものです。

平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝公が安房の国洲崎明神(現、千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩(あめのひりのめのみこと)を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。

慶長5年(1600)、徳川家康公が関ヶ原の戦いへ出陣の際に当社へ参拝し、戦勝を祈願しました。

大東亜戦争では、幸いにして戦火を逃れました。

品川の農業は、目黒川、立会川流域の低湿田地帯と荏原台地に広がった畑地で、年貢のための稲作を中心に麦や雑穀を作る粗放的農業が行われていましたが、野菜は荏原軍の中でも最も早く産地として発展しました。

天翔年間に品川ネギが、19世紀には品川カブが名産になりました。

江戸市中へ出荷する野菜の清算値は江戸市街地の発展により、大井、大崎地区に移っていきました。

品川拍子は、祭礼時に神輿が巡行する際の囃子となる音楽で、大拍子とと呼ばれる締め太鼓と俗称トンビと言われる篠笛によって演奏されます。

品川神社文書の古いものは天正11年(1583)に遡ります。

神楽です。