目黒不動尊
当山の開基は点台座主第三祖慈覚大師円仁で、1200有余年前の大同3年(808)大師自らご本尊を彫刻し安置されたことに始まります。天安2年、大師が法具「独鈷」を投じて堂宇造営の敷地を卜されたところ、泉が忽ち湧出しました。涸れることのないその瀧泉は「独鈷の瀧」と称されました。
大師はお堂の棟札に「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と認め、「瀧泉寺」と号され、「泰叡」の勅願を賜りし清和の御代に、「泰叡山」が山号と定められました。春に花、夏瀧しぶき、秋紅葉、冬積もる雪と、関東最古の不動霊場は四季折々の風情が輝き、善男善女の心にやすらぎをもたらします。
「独鈷の瀧」は不動行者の水垢離場となり、江戸幕末には西郷南洲翁が薩摩藩主島津斉彬公の病平癒を祈願されました。
目黒不動尊御詠歌
清らけき 目黒の社の独鈷瀧 災厄難を除ける不動尊
ここに、身代わりで瀧泉に打たれて下さる「水かけ不動明王」が造立され、より清らかな心と身で目黒のお不動様に参詣できることとなりました。
目黒不動尊
成就院から目黒不動尊に至る参道沿いには、江戸時代、茶屋や料理屋・土産物店が軒を連ね、幕末には獅子の格好の隠れ家に利用されました。目黒名物のタケノコを使った筍飯も売られていたそうです。現在でも毎月28日の目黒不動尊の縁日には、夕方から夜遅くまで参詣の人々で賑わいます。