富士・大山道の道標と庚申塔
富士・大山道とは、霊山である富士山や神奈川の大山へ通じる道です。この場所は中山道から富士・大山道が分岐する場所でした。
向かって左側の道標(みちしるべ)は、寛政4年(1792)に建てられたもので、正面には「これより大山道幷(ならびに)ねりま川こえ(川越)みち」と刻まれています。右側の庚申塔は、万延元年(1860)に建てられたもので、左面に「是ヨリ富士山大山道」とあり、練馬・柳沢(西東京市)・府中への距離が示されています。
この二基の石造物は、江戸時代の交通や信仰を物語る上で貴重な存在です。
清水坂 戸田 板橋
日本橋を起点とする旧中山道の最初の難所と言われた急坂です。隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と、時代とともに呼び名を変えました。この坂は、大きく左右に曲がっているため、中山道で唯一富士山を右手に一望できる名所であったと言われています。清水坂を区だった先には、板橋宿とわらび宿の中間として合いの宿が設けられ、そこにあった志村の名主屋敷や立場茶屋などは、旅人の休憩や戸田の渡しが増水で利用できないときの控の場所として利用されました。
この辺りは、昭和30年代頃までは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通など、都市化の波によって、その姿を変えました。