板橋宿10

近藤勇ノ墓

JR板橋駅東口を出ると、駅前ロータリーの向かい側に、幕末の新撰組局長近藤勇の墓があります。徳川政権が崩壊した翌年の1868年、近藤は甲陽鎮撫隊を組織し、新政府軍に最後の抵抗を試み、千葉の流山でとらえられ、この地で処刑されました。墓碑は1876(明治9年)、元新撰組隊士長倉新八の尽力により建立されました。

近藤勇

慶應4年(1868)4月25日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。

本供養塔は没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名永倉)新八が発起人となり旧幕府御展医であった松本順の協力を得て造立されました。

高さ3.6メートルほどある独特の細長い角柱状で、四面のすべてにわたり銘文が見られます、青面には「近藤勇、冝昌、土方歳三義豊 之墓」と刻まれており、復調の土方歳三の名も近藤勇の右に併記されています。

なお、近藤勇の諱(いみな)である冝が冝昌とされていることについては明らかになっておりません。右側面と左側面には、それぞれ八段にわたり井上源三郎を筆頭に合計百十名の隊士などの名前が刻まれています。

 

近藤勇埋葬当初の墓石