高島平6

八幡神社

大堂の東側の八幡社は、江戸時代から下赤塚村の鎮守社で、明治初年の神仏分離令によって神社の参道から右は八幡社、左は大堂と分けられています。

南北朝時代の暦応3年(1340)鋳造の梵鐘と鎌倉時代末期の制作と言われる本尊阿弥陀如来坐像はともに有名で、江戸市中からの参詣客が絶えなかったと言われています。

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つで、梵名はアミターバ、あるいはアミターユス といい、それを阿弥陀と書きます。

八幡神社の御祭神は品陀別名です。御神体として木造の騎上八幡が安置されていたと伝えられています。

創建年代は不詳ですが、暦応三年(1340)に鋳造された大堂の銅鐘から、当社もこの頃には既に創建されていたものと思われます。また、荒川の氾濫逃れるため、台地下の低地から遷座したとの伝承も伝わります。

当社が鎮座する地は、古墳の上であるとも言われ、江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」によると、「永禄兵火の時、本尊の阿弥陀火中より出現して止まる処と云」とされています。

特殊神事として、毎年3月に赤塚諏訪神社獅子舞が行われています。獅子舞はかつては、辻々を舞い歩いていましたが、現在では、赤塚諏訪神社で舞いを奉納した後、八幡神社に奉納しています。