石神井公園8

開運出世大黒天

第国道・子育千体地蔵堂

第国道は、第33世融憲和尚の念持仏であった大黒天尊像を本尊としています。

三宝寺本堂

三宝寺境内案内図

道場寺

道場時は、豊島山といい曹洞宗(禅宗)の寺です。

この寺は、文中元年(北朝応安5年(1372))、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて建てたもので、その時、輝時は自分の土地を寺に寄付して、豊島氏代々の菩提寺としたと伝えられています。

今でも豊島氏の菩提が弔われ、境内には文明9年(1477)太田道灌に滅ぼされた豊島氏最後の城主泰経や一族の墓と伝えられる石塔三基があります。

道場時には、北条氏康印判状が所蔵されています。この古文書は、永禄5年(1562)4月21日、小田原の北条氏康(1515~71)から禅居菴にあてて発給した虎の朱印状です。内容は、道場寺分の段銭、懸銭などの税金を免除するもので、練馬区内では、現在のところ練馬区に関係する唯一の後北条氏の文書です。

一般的に寺院の敷地を境内、寺の主要建物の総称を伽藍と呼びます。伽藍とはサンスクリット語ではサンガラーマ僧伽藍の略語です。釈尊現生中の頃(紀元前550頃)古代インドでは、寺院という特定の場所や建物はなく、僧侶は不況のために換気に遊行(諸国を巡って修行すること)し、雨期になると一緒に集まって共同生活をしながら修業した所寺院の基本となりました。その後西暦2世紀ごろから、礼拝の対象を祀る「仏塔」や僧が居住する「僧房」などの基本的な形ができ上りました。