氷川神社
当社の創立年月日は定かでありませんが、武蔵国一の宮氷川神社への崇敬の念から勧請したしたもので、明治維新に及び、村民はこれを当村(橋戸村)の鎮守と定め、明治7年(1874)に村社となりました。
祭神は素戔嗚尊、大己貴命(おおなむちのみこと)、稲田姫命で、相殿に愛宕神社(祭神、家具槌命、火産霊命(ほむすびのみこと)、境内社に稲荷神社、白山神社、弁天社、御嶽神社があります。
明治13年(1880)社殿の改築が行われましたが、社伝の老朽化に伴い、昭和50年にいたり鉄筋コンクリート造り、銅板葺、流造に改築されました。
稲荷神社は江戸時代、橋戸村に所領を持っていた伊賀組衆の守護神として祀られていましたが、明治維新後、村民に下げ渡されました。元村内愛宕社にあったと言います。
稲荷神社の鳥居右手に嘉永2年(1849)伊賀組衆百八名が奉納した御手洗石があります。それには天正18年(1590)徳川家康の入府に従って、江戸周辺に窮地を賜った伊賀宗の由緒が漢文で刻まれています。同時に奉納した石鳥居は破損して境内に保存されています。
嘉永2年(1849)銘。東京外環大泉インターチェンジ付近にあった愛宕神社脇の稲荷神社のものと伝えられています。
水盤側面に伊賀衆が水盤、鳥居を奉納した経緯などが刻まれ、鳥居と合わせて108人の氏名が刻まれています。