大泉3

本照寺

当寺は、了光山といい日蓮宗の寺です。

本山は身延山久遠寺(旧中山法華経寺)で、昔から中山の隠居寺と言われていますが、現住職の境野姓は、本寺の系図によると、田安家城代家老境野某より出ている言われます。江戸末期から昭和初期にかけて、武士の転籍が多く、当時もその一例であると思われます。

寺伝によると開基は、天正十年(1582)としており、本堂改築の際に、主柱の下から発見された板碑は、天正10年のもので、開基月日と近いところから、創建と何らかの関係があるのではないかと言われています。この板碑は、「日蓮題目板碑」と言われていて、練馬区内の出土板碑の中では最も新しいものの一つです。

境内墓地には、慶安、万治、元禄などの記名の古い墓石が数多く見られます。

また、本堂は小榑村(今の大泉)の役場として使われたこともありました。

初冬には、多くの万灯行列が繰り出して大変な賑わいとなります。

本照寺歴代住職御廟所

ここは開山・本照院日勇上人(1582年天正10年)より第40世妙境院日体上人(平成8年7月 遷化された境野慈妙上人)まで本照寺檀信徒の礎となられた上人方をお祀りした御廟所です。

大泉村役場建築記念の碑

その隣には平和祈念の碑があります。

場所は大泉中島公園の敷地内です。