高島平7

松月院 萬吉山宝持寺 曹洞宗

延徳4(1492)年、千葉自胤(よりたね)はこの寺を菩提寺と定め、寺領を寄進し自ら中興開基となった。開山堂には開基の位牌をまつり、本堂西側墓地には自胤の他、比丘尼了雲の墓碑も建てられています。

また、天正19(1591)年、徳川家康は四十石の朱印地を当寺に寄進しましたが、これに倣って歴代将軍が下付した朱印状正本が寺宝として秘蔵されています。

天保12(1841)年、長崎の人・高島秋帆は幕命により、徳丸ヶ原で様式砲術の訓練を行ないましたが、その前夜、当時を本陣とした縁故で遺品類が保存され、顕彰碑も建てられています。

松月院のヒイラギ

樹高約10メートル。目通り約270センチメートル。根回り約310センチメートル

、樹齢推定約100年。

ヒイラギは暑い常緑の葉の鋸歯(ギザギザ)が鋭く、触るとひいらぐことから、この由来が出ています。ヒイラギの小枝とイワシの頭を節分の門辺にさし、鬼の侵入を防ぐという習俗は最近まで見られます。また、ヒイラギの葉は若木ではのこぎり葉が鋭く、古木になると鋸葉は消滅して全力となり丸くなることから、人間の成長の過程を象徴するとの説話もあります。

松月院のヒイラギは、上部の樹冠の葉は丸く、下部の若い枝の葉は尖った鋸葉を持っています。