板橋宿6

如意山観明寺

真言宗豊山派で、室町時代の創建。本尊は正観世音菩薩。入り口に寛文元年(1661年)に建立された庚申塔があります。

境内の豊川出世稲荷と赤門は、かつて加賀藩下屋敷にあったもの。明治時代には、宿場の賑わいを回復しようと成田山のお不動を勧請し、縁日を開いて反映しました。

近藤勇と豊田家

新撰組隊長であった近藤勇は、慶応4年(1868)、板橋刑場で処刑されました。近藤の墓そのものは、現在のJR板橋駅前にありますが、処刑される直前まで、平尾宿の脇本陣豊田家に軟禁されていました。

脇本陣:脇本陣(わきほんじん)は、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に支障が生じた場合に利用された。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。

豊田家は、代々平尾宿の名家として、江戸時代中期より脇本陣をつとめていました。脇本陣の建物自体は現存していませんが、明治末期まで江戸時代の風情を留めていました。現在、脇本陣の後には碑が立っています。

板橋七福神

板橋七福神は、昭和12年(1937)に、現在の熊野町に住んでいた彫刻師・田中金太郎が制作し、各寺へ寄贈したものと言われています。