板橋宿7

板橋宿本陣飯田橋新左衛門家

本陣は、一般に街道を通行する大名等の休泊施設ですが、江戸寄り二里半(約10㎞)の近距離にある板橋宿では、宿泊に用いられることは少なく、主に休憩所として利用されました。また、その際には、藩主と江戸の家臣との謁見、送迎の場としても機能していました。

板橋宿本陣は、古くは飯田新左衛門家ら数家で務めていたようです。宝永元年(1704)当家は飯田本家より別家していますが、その際、世襲名「新左衛門」と本陣・問屋役を引き継いでいます。また併せて、屋敷地三五九坪、田畑1.5町余(約一六〇〇〇平方メートル)の広大な土地を譲り受け、当地に本陣を構えました。なお、当家三代目新左衛門珎義の遺言状から、別家後の江戸時代中期ごろに当家が宿内唯一の「御本陣家」に指定されたことが窺えます。

 

本陣は「中山道宿村大概帳」によると建坪九七坪、門構え玄関付きの建物でした。また、本陣指図からは、間口・桁行ともに一二間半(約22.5m)、貴人が座所とする上段の間や御次の間のほか、御善所や18畳の玄関などを備えていたことが分かります。他所に比べ小振りな本陣は、宿泊に供することが少ない板橋宿の性格を示しています。